地域通貨「縁(えん)」(2004年5月)

新潟の有機栽培農家を応援

「縁農村(えんのうむら)」は、新潟市近郊で有機栽培に取り組む農家を、農作業を楽しみながら応援しようという新潟市民グループだ。ユニークなのは、地域通貨「縁(えん)」が農家と新潟市民の仲をとりもつ点だ。現在約80人の「縁農村人」がいる。

農家が人材募集をメール
1時間あたり1縁

縁農村の農家は「田んぼの草取りの手伝いがほしい」などの人材募集をメールで発信。それを見た縁農村人が手伝いに行く。農家は労働力を受けた見返りに1時間あたり1縁を支払う。縁農村人は縁を少しずつためて、その農家が生産した有機野菜などの作物と交換してもいいし、縁農村人同士でパソコン指導や家庭の不用品などと交換してもいい。

1縁はコメ7合~1升

1縁はコメ7合~1升に相当する。地域通貨は全国各地で試みられているが、会員同士のサービスを交換しあう形が多い。

だが、「縁」は実際の生産物とも交換できる。縁農村長役の柳基成さん(37)は「お金を介在させた仕組みだとギスギスするかなと思ったが、働いて対価を得ることが、かえって縁農村にいい緊張感を生んでいます」。

環境コンサルタント会社の社員

開村から丸2年。縁農村の狙いを、「農業が、地域の自然環境を守る大事な産業なんだという認識を広めること」と柳さんはいう。本職は新潟市にある環境コンサルタント会社の社員だ。

人手不足が解消
豊栄市を中心に7軒に

最初は「農家に迷惑をかけないか」「若い人が集まるか」と不安ばかりだった。しかし、有機栽培で、雑草が生えやすいなど手間がかかるため、人手不足が解消できたと喜んでもらえた。参加農家も豊栄市を中心に7軒に増えた。縁農村人も、都市部の夫婦や学生らが中心だ。

田植えや収穫祭など季節ごとに企画

縁農村には田植えや収穫祭など季節ごとに企画もある。都市と農村をつなぐ新しいコミュニティーの形が、確実に育っている。

大学生が無農薬栽培体験(毎日新聞、2004年9月)

かまで稲刈り

「ザク、ザク」。稲を刈る音が秋晴れの空に響く。2004年9月18日、豊栄市の宮尾浩史さん(39)の田んぼで稲刈りが始まった。「縁農村」のメンバーが黄色く染まった稲を1株1株、かまで刈っていく。

農業体験の場を提供

「縁農村」は、生産者と消費者の交流を目指して2001年に設立された市民団体。地域の人に農業体験の場を提供している。メンバーは主婦からサラリーマンまで幅広い。

新潟大学人文学部
五穀豊穣(ほうじょう)の祭りなど農民の信仰

「農家の1年の暮らしぶりを実際に肌で感じたかった」と話すのは、新潟大学人文学部3年の佐藤紀子さん(21)。大学の民俗ゼミで、五穀豊穣(ほうじょう)の祭りなど農民の信仰について学んでいる。授業の一環で農家を回り、仕事内容を調べている。

半袖の腕に稲が当たって、かゆい

佐藤さんにとって、稲刈りは初体験だった。半袖の腕に稲が当たり、かゆくなった。「実際に体験してみて初めて分かったこと」と話す。

農学部4年

新潟大学の農学部4年の赤羽悟さん(21)の実家は農家だ。「実家とは違う無農薬栽培の農業を見てみたかった」という。

除草剤がなく、雑草だらけ

違いは明らかだった。草1本生えていない隣の田んぼに比べて、除草剤をまいていない縁農村の田んぼは、雑草だらけだった。「無農薬栽培は甘くないな」と実感した。

お昼ご飯に芋煮

稲刈りが終わると、参加者全員でお昼ご飯に芋煮を食べた。それぞれ持ち寄った漬物やお菓子も皆で食べた。仕事をした後の充実感からか、笑い声が絶えなかった。

人間と生き物はギブ・アンド・テーク

宮尾さんは「人間と生き物はギブ・アンド・テークの関係。人間だけでは米は作れない」と無農薬栽培への思いを語る。自然を大事に思う気持ちは縁農村全体の共有意識だ。

大学院自然科学研究科
トマトを大学の食堂に運ぶ

新潟大学のサークル「まめっこ」は、そんな縁農村の活動に惹(ひ)かれた学生たちが作った。大学院自然科学研究科2年の上野聡子さん(23)は設立当初のメンバー。重労働の無農薬栽培をあえて続けている農家の姿に触発された。「まめっこの目的は農家と学生の架け橋になること」と上野さんは話す。2004年の6月には、縁農村の農家、小柳均さん(56)のトマトを大学の食堂に運ぶ作業を買って出た。

そのトマトは普通の2倍の糖度を持つという。「食べてもらえば分かるはず」と小柳さん。トマトは好評で、まとめ買いする学生もいるほどだった。

まめっこ

まめっこも、積極的に自分たちで企画を立てていく方針だ。雑穀料理を農家の人から直接教えてもらうイベントなどを計画している。2004年10月の大学祭では、縁農村の農家の野菜を販売する予定だ。地域と大学の「架け橋」を目指し、これからも活動を続けていく。(新潟大学法学部3年、菅野健太)

新潟の農業サポーター制度(2008年7月、新潟日報)

作る

新潟市は2008年から、「農業サポーター制度」という新たな制度を導入した。新潟市民から農作業を手伝ってくれるサポーターを募集し、登録された農家が受け入れる。田園都市の基盤とも言える生産の現場で、生産者と消費者の交流と理解を深めることが目的だ。

水田と畑作で約15ヘクタールを耕作

田植えから一月ほどたった休日、西蒲区(旧潟東村)国見の斎藤修吾さん(58)の田んぼを訪ねた。斎藤さんは優れた農業経営を行う指導農業士の資格も持ち水田と畑作で約15ヘクタールを耕作する篤農家だ。

この日、斎藤さんの田んぼを西蒲区和納の中原成介さん(27)がサポーターとして訪れていた。新潟市内の企業で情報通信系の仕事をしている中原さんがここを訪れるのは2回目だ。

齋藤さんの水田にはアイガモの群れが泳いでいた。雑草を食べ、農薬を使わない斎藤さんの有機農法の手伝いをする。その水田の周りの雑草を刈るのがこの日の作業だ。

大学の農学部卒

中原さんは大学の農学部卒だ。だが今のところ、農業に就こうと考えているわけではない。サポーターに応募したのも「楽しそうだったから」という。ただ日本の食料自給率などを考えると、何らかの形で農業とかかわっていきたいと思うのも事実だ。でなければ、食糧の入手が難しくなる時代が来るのではないかという危機感があるからだ。

大学4年生のとき、ホームページをつくり、ある農家の米の直売を手伝ったことがあった。そのときは、見事完売。もし、これから情報通信の分野で農業支援することがあれば、農家と交流し、いろいろな話を聞くことが役立つと考えている。

消費者の意見や考え

受け入れる側の斎藤さんは、この制度が導入される以前にも東京の若者を受け入れたことがあった。その若者の1人が、安心して食べられて、環境にも優しい農業への思いを熱く語っていたことが、本格的に有機農法に取り組む気にさせたという。「消費者の意見や考えを聞くことは、大きな刺激になる。もっと交流が増えて欲しい」と斎藤さん。何より「若い人たちとの会話が楽しい」とうれしそうに語った。

草刈りが一段落し、「農業は自然が相手、いい仕事だ」と語る斎藤さんに、一息ついていた中原さんも大きくうなずいた。

登録農家は10戸、サポーター40人

2008年、農業サポーター制度への登録農家は10戸、サポーター40人。新潟市の担当者も現場に積極的に足を運び、交流拡大を図っている。民間でも、豊栄地区を中心に7戸の農家と新潟市民が農作業などを通じ交流し、「安心・安全な食と農業の実現」を目指しているNPO法人「縁農村」など生産者と消費者の交流を深めるさまざまな取り組みが行われている。

売る

生産者がつくり上げた農産物を消費者が手にする販売の現場にも新たな風が吹いている。

JA新潟みらい内野町支店に隣接した「お母ちゃんの直売所」
取れたてのキュウリやキャベツ

新潟市西区五十嵐のJA新潟みらい内野町支店に隣接した「お母ちゃんの直売所」。連日、開店時間の9時前から2、30人が列を作る。オープンした店内には、その朝取れたてのキュウリやキャベツなど、30品以上の商品が所狭しと並べられている。

西営農センターの直売部会
売り上げは3100万円

この直売所は、地元農家43人で構成される、JA新潟みらい西営農センターの直売部会が5年前開設した。売り上げは順調に伸び、3100万円を超えた。2008年上期の売り上げも、2007年上期を26%上回っている。

直売のメリット

直売は、従来の市場経由に比べ流通のコスト、時間を圧縮することが可能。安さと新鮮さが消費者を引きつけるが、それだけではない。

店舗の商品に生産者の名前

ここでは、店舗の商品すべてに生産者の名前が入っている。できたころからずっと通っているという近所の主婦は、「おいしいと思うものがあると、その人(生産者)が作ったものを選ぶ」と語る。生産者と消費者の「顔の見える関係」が大きな意味を持っているのだ。

生産者側も同じだ。直売部会長の遠藤つねさん(73)は、「直売所ができる前、野菜作りは自分の家で食べる分くらいだった。ここで売るようになってからは、買う人を意識するようになった。喜んでもらえるとうれしいし、聞いた声を生かすようにもしている」と話す。JA新潟みらい西営農センターの古俣秀志さん(59)も、「地域住民と農家の接触の場。直接話をして、交流できることが1番」と関係づくりの大切さを強調した。

街中で地産地消

こうした生産地近くでの直売のほか、街中で地産地消に取り組む店もある。新潟市中央区古町通二番町で営業する「田から屋」だ。

Made in 越後

地元特産品の発掘、紹介などを行っているNPO法人「Made in 越後」の直営店だ。西蒲区の農家から直接仕入れた朝取り野菜などを販売、固定客を確保している。店長の佐々木恵美子さん(58)は「添加物の入っていないものを、安心して食べていただきたい」と話す。

さらに、地元食材を使った親子の料理教室などで「食育を通じた、家族のコミュニケーションづくり」を図るなど、より消費者の暮らしに入り込む努力をしている。田園都市を支える新たな流通の姿が、街でも里でも根付きつつある。

新潟県内の農産物直売所の数は560カ所
直売所建設に県が40%、市が最大20%を補助

新潟県農林水産部食品・流通課のまとめによると、2008年1月現在、新潟県内の農産物直売所の数は560カ所。2003年の436カ所から124カ所増えている。この間、現新潟市域の直売所は74カ所から127カ所に急増。新潟県全体の増加の半分近くを占めている。新潟市は、直売所建設時にかかる費用の最大20%を、新潟県からの最大40%の補助金に上乗せして支援している。

新潟市の食料自給率は政令市で1位
63%

新潟市は政令指定都市の中では、63%と圧倒的に高い食料自給を誇る。日本全体の食料自給率39%をも大幅に上回る。

耕地面積は全国2位

平地が多く、耕地面積は3万4200ヘクタールと北海道の別海町についで全国2位、水田面積は2万9700ヘクタールで2位の秋田県大仙市を1万ヘクタール以上上回る断トツ首位。これが「田園都市」の基盤だ。

農業産出額は3位

農業産出額ではかつて、全国の自治体で1位となったこともあるが、主力のコメ価格下落もあり、現在は3位だ。

「越後姫」(イチゴ)、「黒埼茶豆」「ル・レクチェ」(西洋ナシ)

ただコメ以外にも「越後姫」(イチゴ)、「黒埼茶豆」「ル・レクチェ」(西洋ナシ)など全国に誇るブランドも多く、チューリップ(全国1位)など花卉(かき)の生産も盛んだ。

ほかにも、枝豆(2位)、日本ナシ(2位)、ダイコン(5位)、カブ(6位)などが高順位を付けている。

未来を探る田園都市の中核・亀田郷
アシ沼から脱却

「亀田郷」と呼ばれる地域がある。東を阿賀野川、西を信濃川、南を小阿賀野川に囲まれ、北はほぼJR新潟駅付近まで。合併前の旧新潟市、亀田町、横越町にまたがり、新新潟市の中枢部1万1000ヘクタールを占める。

都市化急速… 美田を覆う時代の波

平均海抜は0メートル以下。水と土との戦いを越えて美田を手に入れ、その美田がまた都市化の波に洗われたこの地域の歩みは「田園都市」新潟の出自そのものであり、その未来にも深くかかわる。

低湿地を開墾

亀田郷の低湿地に本格的開墾の手が入り始めたのは江戸時代。明治以降になると、各集落単位で排水に取り組むようになったが、それでも十分な効果は得られなかった。

大規模排水所

人々は、潟底の泥を田に運び、少しでも耕作の助けにしようと努める一方、大規模排水所の設置を国に申請した。その願いは、第二次世界大戦を契機にした食料増産の掛け声でようやく届けられた。1941年(昭和16年)着工、総事業費407万円をかけて行われた土地改良事業によって、1948年(昭和23年)毎秒40トンの排水能力を持ち、当時「東洋一」といわれた栗の木排水機場が完成。胸まで泥に漬かって辛い作業を強いられ「アシ沼」とまで呼ばれた泥田はようやく、乾田への道を歩み始める。

その後も亀田郷は数回の改良を繰り返し、1955年~1964年(昭和30年代)中盤には乾田化をほぼ成し遂げ、1968年(昭和43年)には新たに親松排水機場も完成した。

都市化の波

しかし皮肉なことに亀田郷が、泥田から美田へと姿を変える歩みと競い合うように都市化の波が亀田郷を襲った。所得倍増計画、高度成長で都市は拡大を続け、水田が次々と宅地に造りかえられたのである。

この区域の農業基盤整備にかかわる亀田郷土地改良区はこういう状況に危機感を抱き、1975年(昭和50年)、財団法人亀田郷地域改良センターを設立する。都市と農家の共存の在り方を模索する、全国でも珍しい、行動するシンクタンクともいえる組織だった。

亀田郷の土地利用、集落形成ビジョンの研究、新住民と農家の人々の交流、区域内の生活道路整備など非常に多岐な仕事に取り組んでいる。とりわけ、都市化する地域と田園を守るエリアを区分けし虫食い状の乱開発を防ぐことに気を配っている。

1989年(平成元年)から進められている鳥屋野潟南部開発計画がその一例だ。新潟県や新潟市と一体となり、鳥屋野潟の南に総合スポーツゾーン、ウェルネスゾーンなど高次都市機能を備えた地域を形成する。すでに球技場「東北電力ビッグスワン」や新潟市民病院などが完成。そして、そのエリアの南部一帯は基本的に田園としての環境維持を図る。

亀田郷地域改良センター

財団法人亀田郷地域改良センターの渡辺徹プロジェクトマネジャーは「都市開発においては都市側の視点しか持たれてこなかった。しかしこれからは、食料生産を通じ生命を維持する機能を持つ農家側が開発をコントロールしていくべきです」と語る。

亀田郷から新潟駅、新潟空港をつなぐ『モノレール構想』

センターは今、新潟の未来に向けたあるビッグプロジェクトを提唱している。亀田郷から新潟駅、新潟空港をつなぐ『モノレール構想』だ。空港や高速道路という恵まれたインフラ、そして新潟の都市部と魅力ある田園地帯をモノレールでつなごうという構想だ。

2014年問題

背景には、北陸新幹線全通に伴い上越新幹線が枝線化し新潟の拠点性が低下するのではないかという「2014年問題」がある。「新潟が都市としての活力を持たなければ、近郊農業は成り立たない」と渡辺さん。新しい都市軸で田園と都市をつなぎ、人口減少も食い止めたいとの思いが込められている。

「モノレールから美しい田園風景を見てもらえば、都市の人にも生活の基盤となっている農業について何かを自覚してもらえるのでは」と渡辺さんは夢を語る。水と土の戦いから生まれた大地に、田園都市はどのような未来を描くのだろう。